ネットから学ぶアコムの基本

消費税の三%から五%への引き上げで五兆円、特別減税の打ち切りで二兆円、医療保険など社会保障負担の引き上げで二兆円、計九兆円の国民負担増加と、四兆円の公共投資削減、合計一三兆円のデフレーインパクトを持った予算である。  その結果、表I−2に見られるように、まず家計消費が落ち込み、続いて企業投資が沈んだ。

九七年度はゼロ成長となり、九八年度は更に二・五%のマイナス成長に陥った。  戦後の日本経済で、この年までにマイナス成長に陥った年は、第一次石油ショックで高度成長が終焉した七四年度二九九〇暦年基準GDP)と、バブル崩壊後の九三年度一九九五暦年基準GDP)の二回だけであったから、九七年度予算は、七三年秋の第一次石油ショックや九〇年代初頭のバブル崩壊に匹敵する衝撃を日本経済に与えたのである。
いや、それ以上であった。 ゼロ成長とマイナス成長が二年間続いたのは、戦後初めての事だからである。
 先進国の劣等生に転落 この一九九七年度を境に、日本経済の様相は一変した。 「強い国」の面影が消えた。
 まず実質成長率が下がった。  OECD加盟国の平均成長率と、そのうちの米国と日本の成長率を、暦年ベースで比較したグラフがある。
これによると、日本の高度成長が終焉してから一〇年たった八四年から九四年までの一〇年間の平均が、一番左にある。 日本の成長率が一番高く、次いで米国、OECD平均の順である。
 その後、米国はレーガノミックスによる規制撤廃と財政支出削減を果敢に実施し、民間市場経済の活性化と財政赤字克服に成功した。 その結果、九〇年代後半以降、IT革命を活かし、高い成長率を続けるようになる。
 日本は、バブル崩壊で落ち込んだ後、自律回復で九六年にはユーロ圈の成長率を上回り、OECD平均に接近するが、それが最後で、「魔の一九九七年」以降は、米国とOECD平均を大きく下回り続けることになってしまった。  九七年度以降、経済が二年続けてゼロ成長とマイナス成長に陥ったため、財政、金融、企業経営は大打撃を受けた。
 九七年度の財政赤字は、九兆円の国民負担増加と四兆円の公共投資削減にも拘らず、二兆円しか減らなかった。 それどころか、税収の落ち込みと九七年暮れからの景気対策によって、翌九八年度には財政赤字が一挙に一〇・四兆円増え、九九年度には更に六・八兆円増えて、遂に四二・八兆円というピークを記録した。
公債発行額は三七・五兆円、公債依存度は四二・一%に達したのである。  これに伴い、政府債務残高の対GDP比率は急上昇した。

一九九六年の時点では、「粗」比率では、米国、カナダ、ユーロ圏とほとんど遜色のない水準であり、「純」比率では日本が一番低かったので、景気回復を犠牲にしてまで財政再建を急ぐ必要はなかったのである。 それにも拘らず九七年度の超緊縮予算を実施したため、その後この比率はむしろ急上昇し、「粗」比率で見ても、「純」比率で見ても、先進国の中で突出した高水準となってしまった。
これが○一年以降のK政権の経済運営に大きな影を落とすことになる。  「平成金融恐慌」の発生 金融面では、更に劇的とも言える大混乱が生じた。
昭和二年一九二七年以来経験したことのない「金融恐慌」の発生である。  九七年度の超緊縮予算が執行された九七年四〜六月期以降の実質GDPの推移を四半期ベースで九九年一〜三月期までの八つの四半期の間に、五回のマイナス成長を記録し、ボトムの九九年一〜三月期までに、実質GDPは三・四%収縮している。
 この二年間の三・四%のマイナス成長により、バブル不況からの立ち直りを進めていた日本の企業は、肝心の本業が大きく悪化した。 バブルの崩壊で生まれた不良債務の整理を進めるどころか、本業の方で新たな不良債務が膨らみ始めたのである。
債務ばかりではない。 九四年から九六年の三年間に前向きに増やし始めていた設備と雇用も、予期せぬ二年間三・四%のマイナス成長の中で過剰となった。
 この時生まれた「三つの過剰」(設備、雇用、債務の過剰)は、二〇〇四年頃まで企業経営を圧迫し、経済成長の足を引っ張り続けたのである。 「日銀短観」における企業の「生産・営業用設備判断」と「雇用人員判断」は、バブル崩壊後に悪化したあと九七年始めまで改善していたが、この時から再び悪化し始め、再度九七年初の水準に戻るのに○四年までかかった。
 足許の企業業績の大幅悪化と悲観的な見通しから、株価は二年間で三分の二の水準まで暴落し、金融機関の経営は株式の含み損拡大と新たに発生して来る不良債権の増加で窮地に追い込まれた。  九七年一一月、S証券がコール市場でデフォルト(債務不履行)を起こし、会社更生法の適用を申請して事実上倒産した。
コール市場というのは、信用のある金融機関だけが参加し、無担保で短期貸借を行う銀行間市場である。 そこでデフォルトが発生した。
 同じ月のうちに、都市銀行の一角である北海道T殖銀行がやはりコール市場で資金を貸してもらえなくなり、資金不足に陥って破綻した。  その数日後、今度は四大証券の一角であるY証券が、資金繰りに窮して自主廃業を宣言した。

二日後にはT陽シティ銀行が破綻した。  こうなると預金者である一般国民は不安になる。
各地で銀行の取り付け騒ぎが発生し、全国八箇所で銀行の外まで行列ができた。  金融の混乱は翌九八年まで続き、同年一〇月にはN長期信用銀行、一二月にはN債権信用銀行の大型金融倒産が起こる。
日本の銀行を標的にしたBIS規制この「平成金融恐慌」は、単に金融面の混乱にとどまらず、九八年から○四年までの七年間にわたって、日本の銀行貸出残高を収縮させる発端となった。 その媒介となったのは、BIS(国際決済銀行)規制と呼ばれる銀行の「自己資本比率規制」である。
 国際的に活動する各国の銀行に対して、BISが共通の自己資本比率規制を適用することとした狙いは、明らかに日本を標的としたものであった。 この規制が公表された八八年当時、日本の大銀行は、世界一〇大銀行の上位を軒並み占めていた。
バブルの絶頂期にあった日本の銀行は、資産価格高騰で得た資金と国際金融市場で調達した資金を原資として、薄い利鞘で国際金融・資本市場での運用を伸ばしていた。  日本の銀行による国際的金融仲介の拡大に脅威を感じていた欧米の金融界は、日本の銀行が少ない自己資本のまま、外部資金に依存して貸出などの運用を伸ばしていることに目を付けた。

国際金融・資本市場の安全性維持と称して、貸出などリスク資産の上限を、自己資本の一二・五倍(自己資本比率八%)に制限するべきだと言い出したのである。 これが、欧米主要国の中央銀行が主導して導入されたBIS規制である。
 日本の銀行は一斉に反発したが、当時はバブルの絶頂期である。 保有株式の含み益の四五%が自己資本に算入できるという妥協案が出るに至り、受け入れに同意した。
しかし、日本の大誤算は、その直後にバブルが崩壊したことである。 銀行保有株式の含み益が消えたため、有価証券含み益の四五%では救いにならない。
九〇年には劣後債を、九八年には土地などの含み益の四五%を、自己資本に算入できるようにした。 更に九九年からは、税効果会計の導入によって、「繰延税金資産」を自己資本に含めることが認められた。

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